10月31日〜11月1日未明
全く更新しないまま10月を終えるのは忍びない!
まず、この1ヶ月の間に具体的に「何をしてたか」を言うと、
・「ワーナーブロス」のスタジオへ行き、「労働ビザ」取得の為の書類を貰った。
その時、「ラストサムライ」のオープンセットも見物した。(詳しくは言えないけど)
・その後、「台本」が送られてきた。
そして「守秘義務」を果たす事を証明する書類にサインして、送り返した。
・日本に10月11日〜10月30日まで労働ビザ取得の為に日本に一時帰国していた。
・無事、米国に入国できた。
<日本に居た間、何をしていたか>
・10月13日に、「講習会」を開いた。
・10月18日に大阪にてビザを取得した。
・10月21日から26日まで、
米国バージニアビーチ市の宮崎訪問団の「通訳」をしていた。
・10月30日に宮崎日日新聞社の取材を受けた。
・・・どれから書こう?
今は、「予告」だけしておくか。
今から寝ずにガンガン書いて、ここから↓に
金魚の糞みたくどんどん付け足していくので、ちょくちょく見に来てみて下さいな
2回目更新
まず、ワーナーブロスのスタジオへ行った事、そしてその時感じた事を書いておこう。
労働ビザ取得の為の書類を受け取る為に、
「ワーナー・ブロス・スタジオ」へと向かったんだけど、
やはり天下のワーナー社。スタジオは馬鹿デカい。
正面ゲートからは、有名な「給水塔」が正面に見える。
・・・? しかし妙だ。 給水塔の向こうに見える、あの馬鹿デカいアレは・・・
升 天
↑こんな感じや、
↓こんな感じに見える。
井 円
明らかに「日本人なら絶対に見た事ある物体」に見える。
なんだろね?
その「巨大な物体」を真正面に見据えながら
いよいよワーナーの内部へと入った。
ワーナーのセキュリティはやはり厳重だった。
部外者は勿論入れない。
俺はワーナー内部にある「サムライプロダクション」から入場許可が出ていたので、
IDを見せるだけで入る事ができた。
スタジオ内に入って思い出したのだが、俺はこのスタジオに一度来ている!
あれは・・・いつだったか。
1年ほど前に、何かの試写会に来たんだ。その時に確かに入っている。
さて、目指すは「サムライ・プロダクション」のある、●●●(三桁の番号)ビルだ。
近くに居た人に尋ねてみた。
俺「すいません。●●●ビルはどこですか?」
その人「えっとねぇ・・・それは、あっちだよ。」
俺「あっちですか?」
その人「そう。ここを右に曲がって真っ直ぐ行くと、『偽の街』があるから、
そこを進んだ右側にあるよ」
俺「ありがとうございました。」
その人に言われた通りに進むと、セットの町並みが現れた。
左側に見えるこの茶色の建物は、どっかの大学のようにも見える。
ゴルフの時に使うような電気カーが往来する道をしばらく進むと、
右側に目当$F$N!|!|!|%S%k$,;Q$r$"$i$o$7$?!#
3回目更新
それは白い2階建てのビルだった。
俺が行くべき部屋は・・・と。
・・・ここだ。
中に入ると、そこは受付になっていた。
後の壁には、渡辺謙さんが刀を構えた写真が貼ってある。
受付「はい、何か」
俺「ペイジという人に呼ばれてきました。」
受付「ちょっと待って下さいね・・・」
待つ事2〜3分。
奥の部屋から元気な声がした。
???「ハーイ!ユウキ!」
ユウキ「ペイジ?」
ペイジ「そうよ!」
ペイジと挨拶を済ませた後、早速本題に入った。
主に労働ビザを申請する上で必要な書類について話した。
彼女は本当に忙しいらしく、電話が引っ切り無しに掛かってくる。
ペイジが言うには、俺のケースは本当に特別なのだそうだ。
俺以外に労働ビザを貰う日本人は、
みんな「役名」があるキャラを演じる人ばかりなんだ。
だのに、俺の役は・・・まあアレだ。
(どんな端役であっても、ベストを尽くす事には変わりないが)
その部屋の至る所に「パンフレット」があって、
そこには4文字の「日本語」の題名っぽい言葉が印刷してあった。
その「ある種のマーク」のような日本語4文字は、
もう「日本では公開された物」なのだろうか?
ちょっと分からんので、まだ何も言わないでおこう。
だけど言えるのは、この4文字はおそらく・・・・とても重要だ、という事だ。
さて、書類に関する話も終わった。
帰る前に、ラストサムライのセットを見学した。
そのセットは「東京通り」と呼ばれているようだ(確証は無い)
詳しくは言えないが、・・・・・・言える事は・・・・・「大きい」という事かな・・・
そして・・・
・・・・「青い●の●●」・・・・「明●の●●」・・・・「部分だけの城●」
ってなトコか・・・
そのうち、喋れる時が来るといいのだけれど。
4回目更新
さて、ある日の事。映画【ラスト・サムライ】の英語版の台本が送られてきた。
そこには「守秘義務」に関する書類も同封されていた。(当然だが。)
それには、簡単に言うと、
「この台本を誰にも見せたらイカン」
と書かれていた。
「親兄弟・家族にも見せるな」
とも書かれていた。
だが、何より俺にとって恐ろしかったのは次の文、
「秘密事項を漏らした場合、それにより当社が被った損害を弁償する事」
ひぇぇぇ・・・大丈夫かな
ちなみに台本は英語版だった。
日本語のセリフを全て省いた物だ。
これが、英語を喋る役柄の人の為に作られた物なのかどうかは
ちょっと分からない。
ただ、全てのページには、ページ全体をカバーするような形で
「通し番号」が振られていた。
もしも誰かがこの台本をコピーして、マスコミに漏らした場合は、
この通し番号で「誰が漏らしたのか」という事が一目瞭然になってしまうというワケだ。
おっかないなぁ・・・台本はキチンと管理しとかなきゃね。
5回目更新
労働ビザ申請の準備を済ませた俺は、日本行きの飛行機へ乗った。
航空会社は「バリグ・ブラジル航空」だった。
あまり聞いた事ない航空会社かもしれないけど、
なかなか快適なフライトだった。
LA→東京・成田→東京・羽田→宮崎
と、一気に宮崎まで帰ってきた。
宮崎にいる間に、俺は「どうしても食べたい物」を殆ど食い尽くした。
貧乏性がどうしても抜けないので、メニューがとっても貧相だが、
俺にとって、宮崎でこれらの料理は欠かせない。
おぐらのチキン南蛮(900円)
鮮ど市場のパック寿司(390円)
小丸新茶屋の鰻一本寿司(値下げ中なので800円だったような)
小丸新茶屋の竹セット(700円ぐらいだったか?)
値段が安いからといって、甘くみてはイカン。
上記の4つはかなーり美味い。
俺は今回これらを食ってみて、震えが来て鳥肌が立った。
他に、上記の4つほどは美味くないかもしれないが、これは食っておきたい物は
四海楼の焼蕎麦(150円)
たこ焼き三太のたこ焼き(400円)
などか。
他に、「とても美味しいが、どこのお店でも食べる事のできない料理」に
古賀家のおでん(?円)
がある事を付け加えておきたい。おいしいよ!
全てのメニューが1000円を超さないのが驚きだ。
6回目更新
さて、日本にいる間に俺は「とある企画」を行った。
日本での出費をできるだけ抑える為に
美和子ちゃん(母親)が思いついた企画だったのだが、
その名も・・・「ハリウッド演技ワークショップ」!!
果たして、「ハリウッド演技ワークショップ」とは何か?
俺が何をしたか。それは新聞記事に語って頂こうではないか。
「新米俳優が何をご大層にほざくか」と苦笑いしながら読んで頂きたい。
(↓写真を読み込み中かも)
受講料は一人1000円取って、2時間みっちり行った。
15人ぐらいが集まってくれた。
劇場使用料が2000円ぐらいだったはずなので、
およそ13000円が俺の副収入となった。
7回目更新
さて、いよいよ大阪の在大阪・神戸米国総領事館にて
労働ビザを申請するわけで、
俺は朝8時発のANAで大阪へと飛んだ。
着いたのが、9時10分。
領事館への集合時間が10時だった。
大阪・伊丹空港から大阪駅へ向かうバスへ乗り、
そこから人に道を聞きながら走った。
駅から領事館は結構離れていたので、
着いた頃には汗だくになってしまった。
米国総領事館は、案外目立たない位置にあった。
正面の自動扉から入ると、すぐそこにセキュリティゲートが設置してあり、
持ち物全ての所持品をスキャンされた。
俺はゲームボーイアドバンスを持っていたのだが、
何と「持ち込み禁止」だったので、ゲートのところで預ける事になった。
どうやら、全ての電子機器の持ち込みが禁じられているようだ。
勿論携帯電話もダメだ。
ゲートをくぐったとこにあるロビーで、俺はあたりを見まわした。
確か待合場所はここら辺だったのだけれど・・・?
受付に身分証明書を提示して、それを預ける代わりに
「ビジター」という名札を貰った。
それにしてもセキュリティが厳重だ。去年の同時多発テロの影響だろうか?
そこで「松崎悠希」という名前を名乗ったら、
一人の男性が近づいてきた。彼が俺の担当の「ナオト」さんらしい。
実はその場に、「もう一人」の日本人俳優がいた。
彼も勿論「ラスト・サムライ」に出演する。それも「主役級」としてだ。
だが、彼の存在は秘密になっているのか知らないが、
どこのサイトにも登場しない。
もしかしたら、極秘事項なのか?
・・・守秘義務を犯すのが怖いので、彼の名は「Sさん」という事にしておく。
俺、ナオトさん、Sさんの三人は、
「案内人」の後に着いてエレベーターを三階まで上がった。
エレベーターを降りると、そこはこんな空間になっていた。
(↓写真を読み込み中かも)
赤:総領事館の人 青:申請する人
緑:待ってる間に座る長椅子(ベンチ) 黄:書類記入用の机
必要書類を記入し提出すると、しばらくして名前が呼ばれ、
英語で1対1の簡単なインタビューを受ける。
どこで働くのか、何をするのか、などが主だった。
それが終わって30分ほどすると、労働ビザが出来あがった。
・・・何とそれだけだった。
あまりに簡単に事が運んだので、俺は正直びっくりした。
午前11時発の飛行機に乗りこんで、宮崎へと帰った。
8回目更新
宮崎市と、米国バージニアビーチ市は姉妹都市であり、
その交流は今年で10年目を迎えるそうだ。
そして今年。その交流を記念し「10周年記念コンサート」を開く為、
バージニアビーチ市からGSA(マグネットスクール)の人達を招き、
旧市民会館(オルブライトホール)にてコンサートを開いて頂くのだ。
俺は偶然にもGSAが来る時に宮崎に帰っていた為、
「ボランティア通訳」を引き受けてしまった。
GSAとは、若者を対象にした演技学校で、入学するには年齢制限がある。
・・・・そう。あれは忘れもしまい、2年前の7月。
俺がアメリカに来て、バージニアビーチへ行き、
「入りたい」と言った学校はどこだったか。 マグネットスクール(GSA)だ。
俺は市庁舎まで(甚平で)出掛けていったけど(年齢的に)入学できず、
NYへと移動せざるおえなかった。
皮肉にも、自分が入れなかった学校へ通学する生徒が宮崎でコンサートを開き、
俺はその生徒達の通訳をする事になったんだ。
こうやって言うと、なんだか未練タラタラで、
GSAの生徒に対して嫉妬心を抱いているように聞こえるかもしれないが、
そんな事は、全くない。
俺は「あの時GSAに入学しなくて良かった」と、言い切る事ができる。
もしもあの時入学できていれば、
今頃ハリウッドで映画に出演するどころか、まだGSAで勉強をしていただろう。
財布を盗まれてホームレスになり、ストリートパフォーマーになる事も、
ブラックニンジャに出演する事も、
ラストサムライに出演し、労働ビザを得る事もなかった。
GSAに入学しなかったから、今の俺があるのだ。
俺は「ボランティア通訳」として、総勢約30人のGSA生徒と
宮崎の至る所を回った。
青島・日南海岸・フェニックス自然動物公園・オーシャン45・・・・
久々に目にする宮崎の風景は、2年前とそれほど変わってなかった。
26日の記念コンサート当日まで、生徒達と行動を共にした。
コンサートはというと・・・大成功だった!
俺はコンサート終了と同時に舞台裏へ向かい、言った。
「おい、みんな!素晴らしいショーだった。
最高だったよ!本当に素晴らしかった!」
コンサートは大盛況のうちに幕を閉じ、彼等は米国へと帰って行った。
9回目
宮崎には「宮崎日日新聞」というローカル紙がある。
文字通り、県内のニュースを主に伝える新聞だ。
今日はその宮日の本社に「取材」の為に呼ばれているんだ。
なんでも、「宮日お正月版」にて、
「世界で活躍する宮崎県民」というコーナーがあり
そこで俺の特集を組むそうなのだ。
取材は宮日本社の三階で行われた。
取材記者は「井口」さんという方だった。
ますは簡単な自己紹介から始まり、
俺の今までのストーリーを事細かく話した。
井口さんは懸命にメモを取っていたが、
俺の今までのストーリーは膨大な量なので、
メモ帳のページがどんどん埋まっていった。
ざっと、話終えた時には、もう既に1時間経っていたw
そこでもう一人の女性記者が登場し、
今度は2対1の取材になった。
さっきとは違い、今度は「理念」や「目標」に関する質問だった。
それが終わると、カメラマンさんが登場し、3対1の取材になった。
カメラマンさんは、椅子に座る俺の写真を撮っていた。
だけど、それだけでは満足できなかったらしく、こういう提案をしてきた。
「2階のおどり場で、写真撮影しませんか?
なんか、こう。ブラックニンジャっぽいのが撮りたいとですよー」
「ブラックニンジャっぽい写真」って何だろうw
どうやら、「アメリカ人が想像する偽ニンジャ」の写真を撮りたいらしい。
2階おどり場へ移動した俺は、そこでカメラマンさんの指示に従い、
色々なポーズを取ってあげた。
「ハギワラ」っぽい表情で、インチキ臭いポーズを連発した。
カメラマンさん大喜び。
一体、どの写真が実際に使われるのか。とても楽しみだ。
10回目
いよいよ米国に労働ビザを使い、再入国する時がやってきた。
米国の入国審査官にパスポートを渡し、
どのような質問が来るのか戦々恐々としていると・・・
審査官「あ、ラストサムライに出るの?」
俺 「へ? あ、はい」
審査官「あの、トム・クルーズの奴でしょ」
俺 「そうです。知ってるいらっしゃるんですね」
審査官「もちろんよー。ところで何の役をするの?」
俺 「皇軍兵士1です。」
審査官「頑張ってね。応援してるワ」
俺 「ありがとうございます」
な・・・なんと、これだけだった
もっと色々な質問をされるかと思った。
「どこに泊まるのか」とか、「どこで仕事するのか」、「何をするのか」とか
だけど、全然聞かれなかったんだ。
俺は身体の中の緊張が解けていくのを感じた。
ここでもしも何か問題が発生し、
日本に強制送還される事を何よりも恐れていたんだ。
(別に悪い事をしたわけじゃないが、恐れていた)
だけど、それは取り越し苦労だった。
俺は無事に米国に再入国を果たす事ができた。
映画【ラスト・サムライ】の撮影は11月8日からだ。
全身全霊を掛けて、頑張ってこようと思う。
前の日 次の日
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