「世界的な映画俳優になりたい。」
その夢を追う為にアメリカ行きの飛行機に乗った時、俺は18歳だった。
その時の俺といったら、
「甚平」に「草履」という、日本でも滅多に見掛けない格好だ。
着替えも・・・甚平三着しかない。
だけど、何も怖くなかった。
「どうにかなるさ」と思っていた。
最初に向かった場所は、もちろんハリウッド! ・・・じゃなくて、バージニア州だった。
俺は、バージニアビーチの「有名演技学校」に、
飛び込み入学させて貰おうと企んでいたんだ!
でも、現実はそんなに甘くない。
俺は年齢制限に引っ掛かり、入学拒否されてしまった。
失意のうちに、ニューヨーク行きのバスへと乗った。
ここに留まる理由は無くなってしまったからね。
でも、ニューヨークへ行けば、何かが変わると思った。・・・そして変わった!
何が変わったか、それは財布の中身だ。
ユースホステルに泊まっていた時、全財産を盗まれてしまったんだ。
帰りの飛行機のチケットも盗られた。
遠く離れた異国で、全ての物を失ってしまった。
だが、まだ諦めなかった。
ホームレスの施設に入り、生活を賭けて始めたのはストリートパフォーマンスだ。
ニューヨークの中心、「タイムズスクエア」の一角で、
日本の童謡を歌ってお金を稼ぐ生活が始まった。
一番最初は3時間歌って、4$しか稼げなかった。
・・・とほほ。俺って向いてないのかな。
でも、何度もタイムズスクエアへ通い続け、色々な事を学び、
どんどん自分のショーを改良した。
60曲以上の童謡を暗譜し、衣装や小物も増やし、声色も変えた。
その甲斐あってか、ニューヨークを去る頃には30$近く稼げるようになっていた。
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「世界的な映画俳優になりたい。」
その夢を忘れたわけではない。
俺はとある映画の撮影に参加する為、ペンシルバニア州へと向かった。
その映画の題名は「ブラックニンジャ」。
600人が参加したオーディションで、
何と俺は「ハギワラ」という準主役の大役を手に入れたんだ!
その映画は絵に描いたような「間違った忍者映画」で、
俺の役柄もアメリカ人の視点で描かれた「ニンジャ」だった。
でも、俺は撮影自体を楽しんで、その役を演じる事ができた。
人生初の映画出演であった。
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映画俳優になるには、「ハリウッド」へ行かなければならない。
それは分かっていた。では、いつ行くか?・・・それは今だ!
8ヶ月間のニューヨーク生活に別れを告げ、
俺はとうとう映画の都ハリウッドへやって来た。
右も左も分からない。
どうすれば映画に出れるかなんて、こっちが聞きたい。
当に手探り状態の出発だった。
「オーディションに行って演技し、そして役を手に入れる。」
そのシンプルな行動を繰り返し、俺は「俳優」として少しづつ歩き出した。
ある時、とある映画のオーディションに呼ばれた。
その映画こそが・・・「ラストサムライ」だった。
ハリウッドに住む日本人俳優達が集まるオーディション会場で、
俺は思いきり動き、そして演じた。
数日後に電話が掛かってきて、
脇役ではあるけどセリフのある役を手に入れた事を聞かされた時、
どんなに嬉しかった事か!
そして・・・俺は「ラストサムライ」の撮影現場にいた。
日本を離れて2年半。21歳になっていた。
目の前には、映画の中でしか見た事が無い人が立っている。
とてもじゃないが、信じられない光景だ。
だが、俺は確かにここにいる。
夢にまで見たハリウッド映画の撮影に「俳優」として参加しているのだ!
このお話は、ここで終わりでは無い。
今も続いているし、俺が夢を諦めない限りこれからも続いて行くだろう。
・・・そして、この日記も続いて行く。
あー、お疲れサン。 ここまで読むの疲れたでしょ。
何か飲み物でも飲んで、リラックスしてよ。
・・・え? 日記の方も、こんな堅っ苦しい文章が続くのかって?
んな事は無いですよ。 安心して下さいな!
もしかしたら、みんなはあまり、ハリウッド映画の撮影現場を知らないかもしれない。
もしかしたら、撮影現場を書き記したものが存在しないのかもしれない。
だったら俺が全て記録しようじゃあーりませんか!!
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