最新版:2003年8月7日

◆過去のあらすじ◆

3番目のやつ
2番目のやつ
1番最初のやつ


あらすじ

自己紹介

俺の名前は 松崎悠希 (まつざき ゆうき)

現在21歳。

職業は「新米ハリウッド映画俳優」

今住んでいるところは「ハリウッド」

夢は「世界的な映画俳優」となり、人々に夢と希望、そして笑いと感動を与えること。


「世界的な映画俳優になりたい。」

その夢を追う為にアメリカ行きの飛行機に乗った時、俺は18歳だった。 


その時の俺といったら、
「甚平」に「草履」という、日本でも滅多に見掛けない格好だ。

着替えも・・・甚平三着しかない。

だけど、何も怖くなかった。
「どうにかなるさ」と思っていた。


最初に向かった場所は、もちろんハリウッド! ・・・じゃなくて、バージニア州だった。

俺は、バージニアビーチの「有名演技学校」に、
飛び込み入学させて貰おうと企んでいたんだ!

でも、現実はそんなに甘くない。

俺は年齢制限に引っ掛かり、入学拒否されてしまった。



失意のうちに、ニューヨーク行きのバスへと乗った。
ここに留まる理由は無くなってしまったからね。

でも、ニューヨークへ行けば、何かが変わると思った。・・・そして変わった!

何が変わったか、それは財布の中身だ。
ユースホステルに泊まっていた時、全財産を盗まれてしまったんだ。

帰りの飛行機のチケットも盗られた。
遠く離れた異国で、全ての物を失ってしまった。


だが、まだ諦めなかった。


ホームレスの施設に入り、生活を賭けて始めたのはストリートパフォーマンスだ。
ニューヨークの中心、「タイムズスクエア」の一角で、
日本の童謡を歌ってお金を稼ぐ生活が始まった。


一番最初は3時間歌って、4$しか稼げなかった。

 ・・・とほほ。俺って向いてないのかな。

でも、何度もタイムズスクエアへ通い続け、色々な事を学び、
どんどん自分のショーを改良した。

60曲以上の童謡を暗譜し、衣装や小物も増やし、声色も変えた。
その甲斐あってか、ニューヨークを去る頃には30$近く稼げるようになっていた。


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「世界的な映画俳優になりたい。」

その夢を忘れたわけではない。
俺はとある映画の撮影に参加する為、ペンシルバニア州へと向かった。

その映画の題名は「ブラックニンジャ」。
600人が参加したオーディションで、
何と俺は「ハギワラ」という準主役の大役を手に入れたんだ!

その映画は絵に描いたような「間違った忍者映画」で、
俺の役柄もアメリカ人の視点で描かれた「ニンジャ」だった。

でも、俺は撮影自体を楽しんで、その役を演じる事ができた。
人生初の映画出演であった。


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映画俳優になるには、「ハリウッド」へ行かなければならない。
それは分かっていた。では、いつ行くか?・・・それは今だ!

8ヶ月間のニューヨーク生活に別れを告げ、
俺はとうとう映画の都ハリウッドへやって来た。

右も左も分からない。
どうすれば映画に出れるかなんて、こっちが聞きたい。
当に手探り状態の出発だった。

「オーディションに行って演技し、そして役を手に入れる。」
そのシンプルな行動を繰り返し、俺は「俳優」として少しづつ歩き出した。



ある時、とある映画のオーディションに呼ばれた。
その映画こそが・・・「ラストサムライ」だった。

ハリウッドに住む日本人俳優達が集まるオーディション会場で、
俺は思いきり動き、そして演じた。

数日後に電話が掛かってきて、
脇役ではあるけどセリフのある役を手に入れた事を聞かされた時、
どんなに嬉しかった事か!


そして・・・俺は「ラストサムライ」の撮影現場にいた。
日本を離れて2年半。21歳になっていた。

目の前には、映画の中でしか見た事が無い人が立っている。
とてもじゃないが、信じられない光景だ。

だが、俺は確かにここにいる。
夢にまで見たハリウッド映画の撮影に「俳優」として参加しているのだ!




このお話は、ここで終わりでは無い。
今も続いているし、俺が夢を諦めない限りこれからも続いて行くだろう。


・・・そして、この日記も続いて行く。





あー、お疲れサン。 ここまで読むの疲れたでしょ。
何か飲み物でも飲んで、リラックスしてよ。

・・・え? 日記の方も、こんな堅っ苦しい文章が続くのかって?

んな事は無いですよ。 安心して下さいな!



もしかしたら、みんなはあまり、ハリウッド映画の撮影現場を知らないかもしれない。
もしかしたら、撮影現場を書き記したものが存在しないのかもしれない。


だったら俺が全て記録しようじゃあーりませんか!!

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