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2008年09月03日 オーディション★2
乾いた果実
今日は、インターネット向けの、コント番組のオーディションに参加した。
俺が演ずる役は、「アジア系ニュースキャスター」。
・・・ニュースキャスターか。難しそうだ。
今の俺の英語力で、果たして可能なんだろうか。
不安だ。
しかも、さらに悪い事に、オーディション用の台本は、
オーディション会場でしか手に入らないそうだ。
・・・はあ。
とりあえず、ニュース番組を片っ端から視聴し、
ニュースキャスターの読み方を、可能な範囲で研究した。
・・・でも、たったこれだけの努力で、
日本人の俺が、他のアジア系俳優に英語の演技で勝てるだろうか?
んな馬鹿なッ!! そんなに甘くない。
やはり、一刻も早くオーディション用の台本を手に入れなければ・・・
++++
俺は自分のオーディション時間の1時間前に会場入りした。
もちろん、できるだけ早く台本を手に入れるためだ。
会場でオーディション用の台本を受け取り、
一度自分の車に戻って、そこで練習する。
うわっ、5枚もある。
・・・えーっと、なんだこの単語は、「arid」?
アリッド?エアリッド?・・・意味も分からない。
よし・・・。さっそく辞書で調べよう。
って、アレ・・・?
・・・うわああああああっ、辞書がない!!!
致命的なミスだ。まさか辞書を忘れるとは・・・。
でも、もう逃げられない。やるしかない。
とりあえず、文脈とスペルから
「arid」はおそらく、「スカスカ」だろう、と当たりをつけ、
知ってるフリを押し通す事にした。
結果は・・・、20点。 酷いもんだ。
セリフも詰まったし、
ニュースキャスターっぽさも出せなかった。
くっそおおお、悔しい!!
この悔しさをバネに、また勉強しよう。
2008年09月08日 演技全般
無限回廊
べんきょー、べんきょー、またべんきょー、
「例文7000個の本」の音読は、ようやく半分を終えた。
・・・うん、まだ先は長いけど、
自分の英語の表現方法が、豊かになってきているのが分かる。
表現方法の数は、演技の幅と、その深さをを決める。
例えば日本語で、
「こんにちは」
というセリフがあったら、それは、
「こんにちは」
「こんちわー」
「ちわーっす」
「あ、どうもー」
「お疲れ様です」
「うぃーっす」
「やあ、」
「おー」
「何してんすかー」
・・・など、無限の選択肢の中から、
自分の役が 「こんにちは」 を選んだわけで、
そこに、人間らしい思考が生まれる。
鈴木「(・・・あれ?あれって松本さんじゃないかな?
おー、松本さんだ。挨拶しとくか。)
こんにちは。 」
「鈴木」は、相手が「松本さん」だから、
「こんにちは」を選んだんだ。
彼は松本さんに 「よっ!」 とは言えなかった。
ただ「こんにちは」と書かれているから
「こんにちは」と言うのであれば、
それは表層だけの「演技」だし、「人間」じゃない。
どんな表情を作って、「考えてるフリ」をしても、
実際に考えてなければ、
「役者が役を演じている」だけで、それは「人間」じゃない。
俺は「人間」になりたい。
・・・俺の英語での演技は、この「表現方法」の選択肢が乏しく
「本当の人間らしさ」の厚みが出ない。
「Hello.」と台本に書かれていたら、
何も考えずに「Hello.」と言ってしまう。「考えるフリ」をしてしまう。
・・・それじゃ、駄目だ。
限界まで勉強し、表現方法を増やし、
「役」を「人間」にするんだ。
頑張ろう。
2008年09月25日 演技全般
おじいさま
俺は昔から、
母方の祖父母を「おじいさま」、「おばあさま」と呼ぶ。
「おじいさま」は、俺にとって、尊敬と憧れの象徴だった。
誠実で、温和で、何だってできる、本当に凄い人だ。
俺は「おじいさま」が大好きで、心の底から敬愛していた。
その「おじいさま」が、吐血して病院に運ばれた。
病名を聞いた俺は、即宮崎行きのチケットを買った。
宮崎のとある病院の一室で、俺は「おじいさま」と共に三日間を過ごした。
そこで2人は、色々な話をした。
戦争に行く前の事、戦時中の事、
シベリア抑留の事、復員後の事。
まるで、友人と思い出話をするかのように、
27歳の俺と、90歳の「おじいさま」は、
目を輝かせて共通の話題で盛りあがった。
・・・不思議だ。
「おじいさま」は終戦時、今の俺と同じ27歳だった。
そこから4年間シベリアに抑留され、31歳の時に日本に帰って来た。
・・・本当に不思議だ。
「硫黄島からの手紙」を観た時、おじいさまの心は1945年に戻っていた。
そこで、おじいさまは、何を見たのか。
自分と同じ顔をした、「孫」の死を見た。
自分が生き残った戦争で、63歳下の孫が死んだ。
そして、どういうわけか、戦争で死んだ人間が、現実世界で目の前にいる。
・・・逆に俺には、目の前の「おじいさま」が自分に見える。
死ななかった63年後の自分が、目の前にいる。
分からない。なんなんだこれは。
当時おじいさまが体験した「1日」は、
俺が今日生きた「1日」と、全く同じ長さだった。
・・・それを口で言うのは、とても簡単だ。
でも、実際に想像する事は、本当に難しい。
現代人が戦中を想像する時、
その想像の中で生きる日本人は、実に単純で、分かりやすい。
頭の中にある、いくつかの「当時の日本人のイメージ」だけで、
1億人全てがカテゴライズできてしまう。
「真面目」「誠実」「字がきれい」
「礼儀正しい」「背が低い」
「質素」「純朴」「人殺し」・・・
・・・こんなに馬鹿な話はない。
当時の日本人は、
現代の俺達が、義務教育で学校に行くように、
みんな義務で戦争に行ったんだ。
善い奴もいたし、悪い奴もいただろう。
真面目な奴もいたし。不真面目な奴もいた。
愛国心に燃える者もいたし、反戦を唱える者もいた。
でも、そもそも「一人の人間」とは、
一つのカテゴリーに収まるほど、単純だろうか?
もしも今の日本人全てが義務で戦争に行く事になったとして、
自分自身を、「真面目」や「不真面目」などの
一単語で言い表す事が、果たして可能だろうか?
では、もしそれが1億人集まったら・・・?
アメリカ人だけじゃない。
日本人にとっての「日本兵」もまた、白黒だった。
でも、おじいさまの「日本兵」には、色が付いていた。
そして、おじいさまの1日は、今日と同じ24時間だった。
9月24日、俺はおじいさまと2人で、27歳の誕生日を迎えた。
人生で、最高の誕生日だった。
俺はきっと、今日の為に俳優になったんだ。
投稿者 ユウキ : 23:32
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